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最高裁判所第一小法廷 昭和48年(あ)2832号 決定 1976年4月01日

主文

本件各上告を棄却する。

理由

被告人松木正廣の弁護人佐伯継一郎の上告趣意は、憲法三一条違反をいうが、実質は、単なる法令違反の主張であり、被告人両名の弁護人池田治、同松永満好連名の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反の主張であつて、いずれも刑訴法四〇五条の上告理由にあたらない。

なお、原審の確定した事実は、ひつきよう、国がその所有する本件未墾地を農地法六一条以下の規定により売渡処分をする旨を公示したところ、被告人両名は、原審相被告人松木仲治と共謀し、右松木が国の定める増反者等選定の基準適格者であることを奇貨として、同人において、農地法所定の趣旨に従つてみずから右土地を保有し、これを開墾利用して自己の営農に役立てる意思がなく、売渡しを受けたうえは被告人稲井松太郎にその所有権を取得させ、同人の隠居所敷地に供する意図であるのに、この事情を秘匿し、売渡事務をつかさどる県知事にあて、所定の買受予約申込書等の必要書類を順次提出してその売渡しを求め、同知事を欺罔して右松木が売渡処分名下に本件国有地の所有権を取得した、というのであつて、これによれば、被告人らの行為は刑法二四六条一項に該当し、詐欺罪が成立するものといわなければならない。被告人らの本件行為が、農業政策という国家的法益の侵害に向けられた側面を有するとしても(農地法にはかかる行為を処罰する規定はない。)、その故をもつて当然に、刑法詐欺罪の成立が排除されるものではない。欺罔行為によつて国家的法益を侵害する場合でも、それが同時に、詐欺罪の保護法益である財産権を侵害するものである以上、当該行政刑罰法規が特別法として詐欺罪の適用を排除する趣旨のものと認められない限り、詐欺罪の成立を認めることは、大審院時代から確立された判例であり、当裁判所もその見解をうけついで今日に至つているのである(配給物資の不正受配につき、大審院昭和一八年(れ)第九〇二号同年一二月二日判決・刑集二二巻一九号二八五頁、最高裁昭和二二年(れ)第六〇号同二三年六月九日大法廷判決・刑集二巻七号六五三頁、昭和二三年(れ)第五〇八号同年一一月四日第一小法廷判決・刑集二巻一二号一四四六頁参照。)。また、行政刑罰法規のなかには、刑法に正条あるものは刑法による旨の規定をおくものもあるが、そのような規定がない場合であつても、刑法犯成立の有無は、その行為の犯罪構成要件該当性を刑法独自の観点から判定すれば足りるのである(大審院明治四三年(れ)第一七九一号同年一〇月二七日判決・刑録一六輯二二巻一七五八頁、最高裁昭和二四年(れ)第二九六二号同二五年三月二三日第一小法廷判決・刑集四巻三号三八二頁参照)。原判断は、正当として是認することができる。

よつて、刑訴法四一四条、三八六条一項三号により、主文のとおり決定する。

この決定は、裁判官団藤重光の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見によるものである。

裁判官団藤重光の反対意見は、次のとおりである。

詐欺罪の規定(刑法二四六条)は、個人的法益としての財物または財産上の利益を保護するために設けられているものである。財物がたまたま国家や公共団体の所有に属していても、それが個人的法益であることにかわりはないから、これを騙取すれば、詐欺罪が成立することは、もちろんである。これに反して、本来の国家的法益に向けられた詐欺的行為は、詐欺罪の構成要件の予想する犯罪定型の範囲に属しないものといわなければならない。たとえば、欺罔的手段を用いて脱税すれば、人を欺罔して財産上不法の利益を得るという点でいわゆる二項詐欺の構成要件に該当するようにみえるが、これは各種税法の違反に問われるだけである(たとえば所得税法二三八条以下等)。欺罔手段によつて旅券の交付を受けた者は、旅券も財物であるにはちがいないが、旅券法違反(同法二三条一項一号)を構成するにすぎない(昭和二四年(れ)第一四九六号同二七年一二月二五日第一小法廷判決・刑集六巻一二号一三八七頁参照)。これらは特別規定だから刑法の詐欺罪の規定の適用が排除されるのだという説もあるが、もし本来詐欺罪に該当するものだとするならば、何故にわざわざ特別規定を設けて軽い法定刑を規定したのかということの説明に窺するであろう。

ところで、本件事案の骨子を略述すれば、被告人ら両名は、みずからは国の定める増反者等選定基準に該当しない者であるところ、共犯者(第一審および原審では共同被告人)松木仲治がその基準に適合し国から未墾地の売渡を受ける資格をもつているのを奇貨として、松木自身は本件土地を保有して自己の営農に役立てる意思がないのに、その意思があるように装つて、同人名義で手続を進めて本件国有地の売渡を受けた、というのである。なるほど、そこには欺罔的手段によるところの財物の移転があるにはちがいないが、およそこのような行為は、もつぱら農地法の想定する農地政策に背反するという点で違法性を有するにすぎない。同法一条によれば、「この法律は、農地はその耕作者みずからが所有することを最も適当であると認めて、耕作者の農地の取得を促進し、及びその権利を保護し、並びに土地の農業上の効率的な利用を図るためその利用関係を調整し、もつて耕作者の地位の安定と農業生産力の増進とを図ることを目的とする」というのであつて、本件被告人らの行為は、まさしく、このような農地法の規定が存在しなければ、本件のような売買は、はじめからなんら問題とならない性質のものである。換言すれば、本件行為は詐欺罪の定型にあたらない行為というべきであり、もし立法者が本件行為のような種類のものを処罰する必要を認めたならば、農地法にしかるべき罰則を設けて置くべきであつたとおもう。かような特別の罰則がない現行法のもとでは、本件行為は犯罪を構成しないものというべきである。

なお、ここに留意されなければならないのは、食糧の不正受配に関する食糧緊急措置令(昭和二一年勅令第八六号)の規定である。同令一〇条前段は「主要食糧(中略)ノ配給ニ関シ不実ノ申告ヲ為シ其ノ他不正ノ手段ニ依リ主要食糧ノ配給ヲ受ケ又ハ他人ヲシテ受ケシメタル者ハ五年以下ノ懲役又ハ五万円以下ノ罰金ニ処ス」というのであるが、その後段には「其ノ刑法ニ正条アルモノハ刑法ニ依ル」という明文の規定が置かれていて、立法者自身が刑法の詐欺罪の規定の適用を予想しているようであり、当裁判所の判例も騙取の態様における不正受配については詐欺罪の成立を認めているのである(昭和二三年(れ)第三二九号同年七月一五日第一小法廷判決・刑集二巻八号九〇二頁、昭和二三年(れ)第五〇八号同年一一月四日第一小法廷判決・刑集二巻一二号一四四六頁、昭和二四年(れ)第二五三五号同二五年二月二四日第二小法廷判決・刑集四巻二号二五一頁等)。わたくしはこの判例に対しても疑問をいだくものであるが(団藤・刑法綱要各論・増補・昭和四九年・四九一頁参照)、おそらく農地法の立案者は、こうした判例を念頭に置いて、特別の罰則を設けるまでもなく刑法の規定でまかなえると考えたものとも推測される。そうだとすれば、多数意見のように、本件行為について詐欺罪の成立をみとめることも、あながちに否定し去ることはできないであろう。しかし、右の食糧緊急措置令のように明文の規定に解釈上の根拠のある場合と、かような明文の根拠を欠く農地法の場合とは、同日の談ではない。わたくしとしては、やはり、前記のように解するほかなく、したがつて、原判決は破棄を免れないものと考える。

(岸盛一 藤林益三 下田武三 岸上康夫 団藤重光)

弁護人佐伯継一郎の上告趣意<省略>

弁護人池田治、同松永満好の上告趣意

原判決は判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認又は法令違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。以下詳細に理由を述べる。

一、原判決の理由

原判決はその理由中の判断において、原審の認定事実を認めた上「問題は被告人松木仲治名義で買受予約申込書を提出して本件国有地の払い下げを求めた行為が欺罔行為といえるかどうかに集中してくる」とし、その判断の事情として

(1) 被告人稲井松太郎は、本件土地に自分の隠居所を建てたいと考えたが、みずからは農業を営む者でなく増友者選考標準に該当しないため、被告人松木正広に相談し、同被告から三芳町在住の者の名義を借りて払下申請したらよいと教えられ、その後同被告人と相談のうえ、順次江原潤三郎・槇文十郎・岩城亀松等の名義をかりて払い下げを受けようと画策したが、いづれも客観的に見て不適当であるとして三芳町農業委員会事務局長等に難色があり、途中で沙汰やみとなつた。そこで最後に被告人松木正広は、一応精農家と認められ第一次の売渡しの際、本件国有地の隣地の払い下げを受けた実績のある被告人松木仲治に目をつけ、同被告人名義で払下申請をすれば難なく払い下げを受けられるものとの見込みをつけ、昭和三七年五月ごろ相談に来た被告人稲井に対し、松木仲治の名義を使つて払い下げが受けられるようにしてやる旨申し向けた。そこで被告人稲井は、被告人松木仲治に事情を打ち明け、同被告人名義で本件国有地の払下申請手続きをしてくれるよう依頼し、ここに被告人ら三名は順次共謀し、その結果被告人松木仲治は自己名義の買受予約申込書、買受申込書所定の書類を愛媛県知事宛提出したこと。

(2) 買受予約申込書は、農地法六三条により市町村長を経由して知事宛に提出することになつているが、実際の取扱いはその事務を農業委員会事務局が行つており、県の行政指導によりある程度農業委員会の意見を添付させるようにしており、買受予約申込書には選定調書のごときものを添付のうえ、これを提出しているのが実情であつたこと。

(3) 買受予約の申込に対しては、開拓審議会の意見を聞いてその適・不適を定め、適当と認められる者に対し売渡予約書を交付することになつているが、右審議会の審議は、多くは書面上の審査だけで払い下げの適・不適を判定しており、特に疑問を生じないかぎり面接調査等を行なうことなく、本件の場合も、被告人松木仲治が前に隣地の払い下げを受けており、その際適格性につき審査済であること等の事情と相まつて、書面上の審査だけで異議なく適当と判定されていること。

(4) 被告人稲井は、被告人松木仲治との間の予めの申合せにより、同被告人が本件国有地を取得してもそれは名義上のものであるから、同被告人に所有権移転登記を経た後は、無条件且つ無償で被告人稲井にその所有権移転登記手続する旨確約した覚書を交換しており、本件払い下げが行なわれた後、被告人松木仲治は、本件国有地に全然手をつけておらず、被告人稲井が事実上これを管理していたこと等の事実を認めることができる。

そこで、まず原判決が問題としている被告人松木仲治名義の買受け予約申込書(昭和四六年押第五二号の二九中の該当書面)の記載事項を調べてみると、同書面には農業経営の状況として九反九畝五歩の農地を自作し、乳牛三頭を飼育し、石油発動機等の農機具を有すること等が記載され、また世帯員の状況として被告人松木仲治ほか家族五名の氏名・年令・職業・稼働力等が記載されているだけであつて、開墾ならびに利用意思の有無については何も記載されていない。しかし、農地法六一条による国有地売渡に関する法の建前から考えてみると、国は自作農を創設し、又は自作農の経営を安定させるため必要があるものとして、開発して農地にすることが適当な私有地を買収したり(農地法四四条以下)、同様の目的で同様の国有地を他管庁から所管換又は所属替して農林大臣の管理に移したりし(同法七八条)たうえ、これらの国有地を農地法六一条以下の規定により売渡すのである。

従つてこれら国有地は自作農の創設又は自作農の経営の安定以外の目的でこれを売渡すことはできないものである。そして右売渡しは土地配分計画を定め、これを公示して買受希望者を募集することからはじまるのであるが、この公示は売渡しをなす国有地の地区名、所在地のほか、入植者、増友者の二つに区分し、それぞれ予定売渡口数、予定売渡面積をかかげてこれを公示するのである(農地法六二条、同法施行令九条、昭和二七年一二月二三日農林省地局第四〇八三号通達)。従つてこの公示にもとづく買受予約の申込みは、右公示に対応した入植の目的又は増友の目的を有する者のみがこれをなすものと考えられており、右のような目的を全く有しない者がその申し込みをするようなことは法の予想しないところである。そして農地法六三条、同法施行規則三六条は買受予約申込書の様式を規定しているが、そこでも入植者、増友者の区別がなされ、右規則三六条二号の様式に従つて申し込みをすれば増友者として申し込をしたことになるのである(本件はその場合である)。

次に増友者としての買受予約申込書の提出があると、都道府県知事は、

(イ) 開拓の熱意があるかどうか

(ロ) 世帯構成が開拓に堪え得るかどうか

(ハ) 既耕作地の集散状況及び増友地区の耕作距離等農業経営の現状からみて、増友せしめることが適当であるかどうか

等の選定基準(昭和二七年一二月二三日農林省地局第三九四三号通達)に照らし、自作農として農業に精進する見込みのあるもののうちから適当と認められる者を選定し、その者に売渡予約書を交付することになるのである。

さて、以上のことから考えると、本件の買受予約申込書の提出は、増友者の募集に対する増友者としての申し込みであり、たとえ申込書中にその旨の記載がなくても右申込書の提出自体に「本件国有地の払い下げを受けたうえは自己の所有物としてこれを開墾利用し、自己の営農に役立てます」という積極的な意思が表明されているとみるのか相当であり、また被告人らもこのことを十分承知の上でこれを提出したものと認められる。勿論知事は真実申込者に開墾ならびに利用の意思があるかどうかを審査できるけれども、そのような意思のあることは当然の前提とされ、審査はむしろ客観的な事情からその者が自作農として農業に精進するか、あまり精進しないか、精進するとしてもその精進が十分成果をあげ得るような状況にあるかどうか等を問題として行なうものであり、且つ愛媛県における審査の実情はさきに認定したとおりであつて、本件のように他人の身代りとなつて申し込みをするものである等の事情は、本人がこれを黙秘するかぎりその発見は困難であり、特に本件では、過去に払い下げを受けた実績があり、一応信用のある被告人松木仲治の名義を利用して申請したものであるから、いつそう審査は形式的となり、立ち入つて開拓の熱意の有無まで審査することを期待するのは無理である。……として問題の買受予約申込書提出行為をもつて作為の欺罔行為に該るとしたのである。

二、原審記録に現われた事実

そこで更に詳しい事情を検討してみると

(1) 被告人稲井松太郎は昭和三五年一〇月ごろ土地仲介業者である黒川勝義および佐伯高義に将来払い下げになるからとすすめられて、問題になつている土地の耕作権を川又釜一・行木健一等から譲り受けたが、稲井は自分の息子が田を約三反一八歩耕作しているので耕作資格をもつているから息子名義で払い下げを受けようと思つていたこと(昭和四三年一〇月八日付検察官に対する稲井松太郎の供述調書二三一七丁以下)

(2) その後まもなく知合いの当時三芳町農業委員会会長の職にあつた被告人松木正広に遇然逢い、前記土地の払い下げを受けたい旨申し向けたところ、正広会長は「よし判つた。俺にまかせておけ」等との返事だつたので、今後の右土地の払い下げの件については一切同人の指示どおりやれば正当な払い下げが受けられると考えていたこと。(同右)

(3) その後、稲井は三芳町在住の者でなければ右土地の払い下げができない(実際は三芳町在住の者でなくても払い下げを受けている事実がある)と聞き及んだので、自己又は自己の息子が三芳町民でないことから正広会長に相談したところ、同人から三芳町民の江原潤三郎の名前で払い下げればよいとの発案指示を受けたので、その指示に従つて同人に払い下げの手続きを依頼し、同じような方法で順次槇文十郎・岩城亀松等にも頼んだこと。(同右)

(4) しかし、右はいづれも客観的にみて不適当であるとして処理されたので、昭和三七年春ごろ稲井が正広会長に会つて払い下げ手続きが全て不調に終つたことを話したところ「松木仲治名義がよい。近く委員会があるのでその時決めてやる」との趣旨の指示があつた。

しかし稲井はこれまでの正広会長の発案が全て不調だつたので、正広会長の右言動をあまり期待しないで聞き流していたのであるが、一週間くらいしてから正広会長の方から稲井のところに「松木仲治に払い下げることに決めた」との連絡があつたので、それではと丁度田植時期の頃、稲井は松木仲治を訪れ、同人に正広会長の言葉をそのまま伝えて、右土地の所在場所を記載したメモ用紙を渡し買受手続を依頼したこと(同右)。そして松木仲治は自己名義の買受予約申込書・買受申込書等の必要書類を農業委員会事務局を通じて愛媛県知事あて提出した。

(5) 当時開拓農地の払い下げ手続きは農業委員会事務局が窓口事務を行なつており、払い下げの適否についても、相当程度実質面で委員会がタツチしていたし、県の行政指導もそれを奨励していたものであること(証人別宮政義の証言)そして窓口事務にあつては事務局員が申込者に代つて申込書類に必要な記載事項を記入し、申込者の押印をもらつていたこと(昭和四三年九月二七日付検察官に対する川滝幸雄の供述調書・二、一五八丁〜二、一六三丁)委員会も会長が議長となつて提案議決がなされていたが、土地配分計画の公示前である昭和三七年五月に既に松木仲治に払い下げる決議がなされていたこと(同右・二、一六九丁以下)。

(6) 買受予約申込書は開拓審議会にかけられるが、余程のことがない限り農業委員会の決議にもとづく意見に従つて処理されていたこと(証人別宮政義の証言)。

等の事実が記録上認められるところであり、以上の事実関係に立つて、原審が買受予約申込書の提出行為を故意ある欺罔行為と判断した点を考えてみると、原審も認めているとおり松木仲治名義の買受予約申込書(昭和四六年押第五二号の二九中の該当書面)に記載されている事項は農業経営の状況として九反九畝五歩の農地を自作し、乳牛三頭を飼育し、石油発動機等の農機具を有すること、又世帯員の状況として松木仲治のほか家族五名、年令・職業・稼働力等のいづれも真実の記載がなされており、何らの虚偽事項の記載もないのである。

しかるに原審は前記のとおり、買受予約申込書の提出は増友者としての申し込みであり、たとえ右申込書に開拓の熱意等の意思の記載がなくても「本件有国地の払い下げを受けたうえは、自己の所有物としてこれを開墾利用し、自己の営農に役立てます。」という積極的な意思が表明されているのであり、被告人らもそのことを十分承知している、としたのであるが右原審の判断は事実を不当に拡張すると共に被告人らの意思を無視した判断であり、明らかな事実誤認が存する。

三、詐欺の故意の不存在

被告人稲井松太郎には買受予約申込書の提出が増友者を対象とした申し込みであるとの認識がなかつた。

即ち、稲井は当初から本件土地については自ら耕作権があるとともに自己の息子が他の土地について耕作しているのであるから、当然自己又は自己の息子に払い下げの資格があるものと考えていたのである。(前記稲井松太郎の供述調書二三一七丁以下)ただその後三芳町在住の者でないと払い下げ資格がないとか、農業経営上問題があるとか等の客観的条件を知つたので、その都度被告人松木正広会長に相談した結果、同人から数名の他人名義による払い下げの指示を受けたという事実(同右)から明らかなようにこれまで払い下げが困難であるとされた者達は単に三芳町に在住していない等客観的資格条件の欠如から払い下げ資格を付与されず、一方松木仲治は右の条件を具備するから払い下げ資格があると考えていた(同右)ものであつて換言すれば本件土地の払い下げが増友目的で行なわれていること、すなわち、開墾の熱意のある者であることまでの認識はなかつたのである。殊に、稲井は本件土地の払い下げに関しては、農業委員会会長の被告人松木正広の尽力に全てを一任していたものであり、いわば松木会長の云う通りに動いていたロボツト的存在であつたから、稲井自身、松木会長が指示したとおりにやつていたので、開拓の熱意等の条件のあることまでは知らず、法律の手続きに従つた正当な払い下げであると考えていた(同右)としても、農村の実情からみてあながちありえないことではない。加えて、問題の松木仲治に対する払い下げについては、土地配分計画の公示前に農業委員会において同人に払い下げるとの決議がなされており、従つて既に実質的決定がなされた後の買受手続等は単なる形式的なものであつたと認められることからみても、稲井に本件土地が増友者に対する払い下げが条件であるとの認識はなかつたということは明らかである。

四、欺罔行為が無い。

なるほど原判決がいうとおり、農地法の立法趣旨から考えると、増友者でない者の申し込みは法の予想しないところである。しかし、本件の場合、買受予約申込書自体としては増友者としての客観的な記載事項のみを要求し、増友目的に合致した熱意等の内心的意思の表明を記載事項として要求していないのであり、仮りに右意思の表明を記載することを要求しても、事後の判断は別として、それが真実であるかどうかの判断は極めて困難であるから、増友資格としては客観的事項の記載のみをもつてその真実性、適格性の判断の主要な資料としたのである。ということは、主観的な開拓の熱意等の意思は、客観的事項にもとずいて適格者と判断され、そして現実に払い下げがなされた後、増友に適合した意思の有無並びにその意思が実現されたかどうか(農地法七一条、七二条)を判断すれば農地法の目的は十分達せられるものと法が考えているからに他ならずそのため特に罰則を設けていないのである。

従つて右のような客観的事項の記載をもつて、主として事後的判断の対象となる増友の意思といつたものを買受予約申込書に包含させるのは妥当ではなく、買受予約申込書の提出自体は右のような意思の不存在を秘した申し込みと考えるべきである。

そこで、買受予約申込書を提出するに際し、申込者において、右のような意思の不存在を告知すべき義務があるかどうかが問題となるが、申込者には告知義務がなく、国側において積極的な調査義務があると考える第一審判決が妥当であり、原審はこの点においても重大な誤りをおかしている。即ち、農地法は農地の適正利用という趣旨から、未墾地の払い下げについて同法七一条以下の規定を設けているが、これらの規定は国に事前の調査義務があることを予想しつつ、国の事前の調査が困難であることから事後においてそれを担保しようとしている規定と解せられ、その意味では国の事前調査義務を軽減しているものと解する。

又、実際的取り扱いにおいて農業委員会が県の行政指導のもとに未墾地の払い下げ手続きの一貫を担い、同委員会の事務局員が申込者に代つて買受予約申込書等の記入手続きを行なつているが、これらは農業委員会が農民の実体を知り農村に定着しているの故をもつて、調査の困難な増友の意思等を調査させ、もつて国の調査義務の遂行を完かならしめようとしたからに他ならないのであつて、増友の意思等は国の積極的な調査義務に属することは明白であるから結局買受予約申込書の提出自体は欺罔行為に該らないといわなければならない。

以上のとおり原判決が買受予約申込書の提出をもつて開拓の熱意等の意思を含んだ故意ある作為の欺罔行為であるとした点は、判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があるといわねばならず、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

五、可罰的違法性

仮りに買受予約申込書の提出をもつて増友意思の表明がなされており一応欺罔行為に該るとしても、かかる行為は可罰的違法性がないと考える。

(1) 先ず第一に、未墾地の払い下げについては、払い下げ完了後国が当該土地について、成功検査及び場合によつては買戻しをなし、或いは処分の制限を課する等のことができる旨の諸規定を置き、農地法自身事前の意思より事後の意思を重要視し、事後調査をもつて農地法の目的を達するに十分であるとし、特に刑法犯で処罰することまでは予想していないと解されること。ちなみに国の未墾地売渡は行政処分であるから取消が可能であることはいうまでもない。

(2) 第二に未墾地の払い下げについての実際の取扱は農業委員会が実質的役割(買受予約申込書の受付、委員会の決議による意見書の提出等)を担い、その後審議会の審査は余程のことがない限り、農業委員会の意見書に事実上拘束されている実情からみて、農業委員会における申込者の適否のチエツクがルーズに行なわれているとそれがそのまま適格者として通用するおそれが十分にあるわけである。本件の場合は、農業委員会の構成メンバーであると共に委員会を代表する立場にあつた松木正広会長が、他人名義を利用する払い下げであることを十分承知していたし、そのうえ土地配分計画の公示前に委員会の決議をもつて松木仲治名義に払い下げることを実質的に決定しており、従つてその後求めた買受予約申込書の提出は単なる形式上のものであつたこと。

以上の理由の外本件の場合は特に国に財産上の損害がないことも考慮すると買受予約申込書の提出自体は処罰に価するだけの違法性が欠けているというべきであり、これを詐欺罪として処罰に価する違法行為であると判断した原判決には判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認又は法令違反があり、これを破棄しなければ著しく正義に反するものと認められる。

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